高知県れいほく地域でおいしいと評判のパン屋さん「REIHOKU FARMER´S CAFE」。営むのは佐藤秀彦さん、恵さん夫妻。3.11の東日本大震災をきっかけに、東京のド真ん中から、いち早くこちらに移住してきました。職は? 家は? 子どもたちの学校は?

地震発生から、これまでのことを恵さんに丁寧に話していただきました。高知県には震災を機に移り住んだ人も少なくなく、現在、高知に疎開、移住した家族とそのサポーターの会「虹色くじら」の共同代表としても活躍中です。

佐藤恵さん2

震災の日から頭の中はグルグル 一時避難か移住か…

─ 3.11の震災までは世田谷区でパン屋を経営されていたんですよね
区内に3店舗経営していました。従業員も雇っていましたし、家も新築してまだ数年のことでした。あの日から移住するまでのことは、今でも鮮明に覚えています。
震災、とりわけ原発の問題が解決されていないことは残念なことです。

─ 高知県には親戚がいらっしゃったのですか?
親戚ではないのですが、私が独身の頃に高知県に一人旅をしたことが縁で、長くお付き合いをしている方がいました。地震後も、原発の事故が相次いで起こり、いてもたってもいられず…。どこへ避難しようか、一時的な疎開をしても意味はあるのか、娘たちのことを考えたらやはり東京を離れたい…。震災直後、毎日、グルグル考えを巡らしていました。

前から、その方から「もう一度高知へ遊びにおいで」言われていたのを思い出し、地震発生から10日ほど経った頃、ふいに娘2人を連れて高知へ行こうと思い立ちました。

─ 素早い行動力です。東京はその後、長く落ち着かない毎日が続いていましたね
こんな形で再度訪れる事になるとは思いもしませんでした。夫に相談したら、ちょうど春休みだったこともあり、即決「行っておいで」と。私は25日の従業員の給与精算をなんとか済ませて、新宿駅21時発 翌朝7時着の高知行きの高速夜行バスに娘2人連れて飛び乗りました。

─ 高知はいかがでしたか
せっかくの春休み。最初は震災の影響から離れた場所で観光をしつつ…。でも心の中ではいつまで東京を離れたらだいじょうぶなのかなと考えてましたね。東京を立つ前に、以前出産の内祝いで頂いた手作りのお菓子のお店が高知にあったことを思い出し、連絡をとって訪ねることにしていました。それがれいほくにある 自然派菓子工房&お山のカフェの「ぽっちり堂」さんなんですが、店主の方が親切で、高知のオーガニックマーケットの情報や、ガイドブックには載っていないような観光スポットを教えてくれて…。おまけに当日は、わざわざバスターミナルまで迎えにきてくれました。高知の人って親切な人が多いなあ、ありがたいなぁと…。

高知では東京の地震の騒ぎが嘘のように静かで、サラサラと川が流れてました。娘たちが「お母さん、川で遊んでいい?」「裸足になっていい?」「マスクとっていい?」って聞くんですよ。いいよ、いいよって、返事しながら「あぁ…ここでは何も気にしなくていいんだ」としみじみ思いました。

 

車1台におふとんとランドセルを積み込んで、10日足らずで東京から高知へ

佐藤恵さん1
─ 高知への移住を本格的に考え始めたのはいつですか?
東京に戻って早速、夫に高知での話をしたところ、「そんなにいいところなら、娘たちと先に高知に移住して」と。びっくりしましたが、「自分は東京に残る」という夫のまなざしを見て、本気なんだと分かりました。

そこからは行動あるのみです。実は下の娘は、その春に私立の小学校に入学が決まっていて準備も全て終わっていました。小学校入学後にまた転校となると、娘にも負担です。引っ越すなら、このタイミングしかないと考え、10日足らずで家探し・学校探しを終えようと決心。

─ 3月末に東京に戻って、4月の入学式までにお引越しとは驚きです!
そうですね。周囲には“夜逃げ”だと勘違いしている方もおられたそう(苦笑)。無理もないですね。東京に帰ってきてから知ったのですが、「ぽっちり堂」の店主・川村幸司さんは、れいほく田舎暮らしネットワークのメンバーで移住者を支援する活動をしておられたので、それなられいほく地域に住みたいと決めた私たちには、力強い味方になってくださいました。また私がネットでれいほく地域を調べていたら、土佐町小学校がポンッとあがってきて、後ろから覗き込んでいた長女が「この小学校だったら行きたい!」と。木づくりの素敵な校舎なんですよ。

こうしてなんだか神様に導かれるように、高知県れいほく地域・土佐町への移住が、トントンと進んで行きました。4月3日は、これまでのお友達とお別れ会をして、車1台におふとんとランドセルを積み込んで、みんなとバイバイ…。子どもたちも泣きじゃくって、今思い出しても辛くなります。

 

 東京との二重生活は大変だったけれど今は家族そろって健康で穏やかな毎日が幸せ

─ 移住では何がいちばん大変でしたか?
一番大変だったことは、夫と別れての二重生活だったことですね。震災直後、1店舗はすぐに閉めましたが、従業員もいましたので、そうそう簡単には…。「パパと離れたくない」という子どもたちにもさみしい思いをさせました。会えない分、一緒にいる時は家族でたくさん話をし、今後についても夫婦で何度も話し合いました。

結局、夫が東京~高知を行ったり来たりしたのは約1年半。ようやく家族そろって高知で暮らせるようになりました。主人も腰を落ち着けて、ここでパンの製造に打ち込んでいます。本当は、東京で人材を育てて、向こうのお店を任せたいと思っていましたが、それは難しかったですね。残念ですが東京の店は閉めました。しかしそのおかげで、夫がこっちにくるのが早くなったので、結果オーライかな。

佐藤恵さん5
─ こちらでお店を新規OPENし、順調でしたか
今のお店は本山町でも賑やかな中心地にあります。たまたま、このれいほく地域の特産品の直売所「本山さくら市」に空き店舗が見つかって、声をかけていただきました。本当にラッキーでしたね。さくら市には、地元の方はもとより、観光がてら立ち寄るお客さんも来店します。旬の野菜やれいほく名産の幻の和牛「土佐あか牛」、地鶏、猪肉、手作りこんにゃくなど、ほかではなかなか手に入らない地元ならではの食材が揃います。

そうそう、東京ではパン屋でありながら人形焼も売っていて看板メニューだったので、こちらでもいち早く、菓子工場を作りました。名づけて「龍馬やき」。今は龍馬をかたどったクッキー(1枚140円)も販売しています。デザインは私が描いたり、移住仲間のデザイナーと共同で行うことも。武蔵野美術大学の同級生なんですよ。

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─ お子さんはすぐに慣れましたか?

下の娘はもともと引っ込み思案でシャイな性格です。なじむのに少し時間はかかりましたが、それは私立の小学校に行ってても同じだったのではないかと思います。親が娘の変化に気づいてあげられるか、しっかり支えてあげることができるか。要は親の覚悟次第だと感じています。

一方で、上の娘は、引っ越したその週末に早速、お友達と外で遊ぶ約束をしてきて、朝の10時に出て行ったきり、戻ってこない。夕方になって、お友達のお宅にお電話したら、
「ごめんなさいね。今、お風呂に入ってて。みんなで夕飯食べたら、そっちに送ってくね♪」と言われて、びっくりするやら嬉しいやら。なんてフレンドリーな方たちなんだろうと、ありがたい気持ちでいっぱいでした。

 

人生、いつどこでどうなるか分からないと知った今、長く伝えられてきたものの良さを次世代につないでいきたい

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─ 移住して良かったことや感じたことはなんでしょう?
3.11をきっかけに、穏やかな生活も、仕事も学校も、自分たちが当たり前に続くと思っていることがそうではないことに気づきました。と同時に、高知に来てから昔ながらの生活の知恵に学ぶことが多く、長く伝承されてきたものの尊さを感じています。

今の季節なら、山菜を取りに行って、1年分のイタドリを塩漬けにしたり、間伐材を使ってタケノコを釜で炊いたり。そうそう木灰を使ってこんにゃくを固めるとかね。
1つのムダもない暮らしってすごいなって思います。

今は、約1反の田んぼを借りて、移住家族2家族で米作りも始めました。地元のおんちゃんには心配されたり、笑われたり(苦笑)。都会でももちろん自然にふれる経験はありますが、わざわざバスツアーで田植え体験とか、大人が意識を高く持って、子どもに参加させてって気合がいるんですよ。

ここでは、自然が当たり前の感覚としてあるのがいい。子どもも大きくなってきて、今では喜んで田んぼをの手伝いなんてしないけれど、春になったら、ぜんまいをたくさん摘んで帰って「煮物にしてね」って催促がくる。なんだかあったかい気持ちになりますよね。

─ 移住者支援など、本業のパン屋さん以外にも、いろんな取り組みに協力しておられますね。今後についてのお考えをお聞かせください

今はここでいかに自分たちが楽しみながら、れいほくの自然をいい形で、次の子どもたちに残していけるか、地元の人と協力しながらお役に立ちたいと考えています。東京にいた頃はどんどん店を増やして、経営が順調ならハッピーと思ってましたけど、今はそれだけじゃない。大げさなんですけど、店をやるって、これからは社会貢献の部分がないとやっていけないという気持ちがありますね。

ほかには地元の人が気づかない、れいほくの魅力を移住者である私たちが発信すること。次世代に残したい日本の田舎の風景がここにはある。例えば、ここでは今も箕(ミノ)は現役なんですよ。田植えの時でも、気持ちのいい風が吹いて背中に熱がこもらないし、雨が降っても体が濡れることもなく本当に便利です。

そんな1つ1つを、自分たちの世代が今、学ばないと、あと5年、10年で消え去るかもしれません。全てがゆるやかにつながっていると感じる、このれいほくの暮らしを大切にしていきたいですね。

恵さんは、現在、「れいほく田舎暮らしネットワーク」では理事を、震災を機に疎開、避難してきた方々とサポーターの会「虹色くじら」では共同代表を務めています。
地域のために活動される様子はまさに肝っ玉母ちゃんといったところ。

<pそんな恵さんがこれから移住する方へのアドバイスとして3つ上げてくれました。
みなさん、ぜひご参考にしてくださいね♪

  • 1 車の免許は必需品。田舎暮らしを考える方は何はともあれ、免許がなきゃ!
  • 2 家族、夫婦でよく話し合って移住を決めること。人に話すことで決断力は強まる。
  • 3 毎日を謙虚に地道に頑張ろう。田舎では知らず知らずのうちに、(あなたの)行いが見られている

佐藤恵さん6

REIHOKU FARMER´S CAFE
〒789-3600
高知県長岡郡本山町本山582-2

田舎暮らしネットワーク
虹色くじら
取材・文:杉谷淳子

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