斬新なアイデアで限界集落を脱却!
ムラが人を受けいれるのでなく、人が人を受け入れる体制を

石川県羽咋市にある神子原(みこはら)地区は、2008年まで65歳以上の人口が過半数を越え、社会的集落の維持が危ぶまれる限界集落でした。それが行政・地域住民が一丸となって改革に乗り出してから、たった4年で汚名返上。「烏帽子(えぼし)親農家制度」や農地付きの空き家バンク、極めつけは神子原の棚田米をローマ法王お墨付きのブランド米「神子原米」にするなど、新企画がバンバンあたり限界集落から脱却しました。今回はそんな神子原地区のキーマンにお話をお聞きしました。

限界集落 神子の里松本社長

石川県羽咋市 神子原(みこはら)地区のキーマン。
株式会社神子の里  社長 松本 政文さん

 

人口減少のはじまりは高度成長時代から

現在、農産物直売所「神子の里(みこのさと)」の運営を行っている株式会社神子の里・社長の松本政文さんは、神子原地区の活性化に取り組むキーマンのひとり。地域おこしの新企画に対し、住民の理解が充分でない頃から、それを覆す行動力と創意工夫で問題を解決に導き、直売所にいたっては、開業1年にして経営を黒字化に導きました。

神子原地区の人口の流れは以下のとおり。幼い頃から神子原地区で育った松本さんは「振り返れば、私が小学生だった昭和40年代(1965年~1974年)から、もうすでに全校生徒数は男子6人、女子6人でした」と話します。世の中、高度成長時代の真っ只中で、若い世代がどんどん都会に流出していった時代です。

人がいないことの危機感を、地区の人が実感するきっかけとなったのは、今からちょうど20年前。1995年に小学校が統廃合で閉校し、続いて農協が閉鎖されたとき。地区から人の往来や賑わいが一気になくなりました。

■神子原地区の人口と集落のトピックス

時期 人口 集落のトピックス
1984年(昭和59年) 830人
1995年(平成7年)  ー 地区にただひとつの小学校が閉校
2005年(平成17年)  ー 羽咋市が神子原活性化プロジェクトに着手
2008年(平成20年) 485人 約25年で人口は半減!
65歳以上の人口 54%の限界集落だった頃(※)
2009年(平成21年)  ー 65歳以上の人口47.5%に。限界集落脱却(※)

※限界集落の定義/総人口に占める65歳以上の人口の割合が50%を超え、集落自治の機能が低下し、社会生活の維持が困難になっている集落のこと

ローマ法王お墨付きのブランド米の誕生、
農地付きの空き家バンクなど新企画が次々にヒット

石川県羽咋市神子原1

そんな事態をうけて、2005年から羽咋市が本格的に神子原地区の活性に力を入れることに。科学ジャーナリスト、構成作家として活躍していた高野誠鮮(たかのじょうせん)さんがUターンで帰郷。羽咋市臨時職員となり、斬新な企画でマスコミを賑わせます。

特に評判をよんだのが神子原地区の棚田米のブランド化。『神子原』の“神子”は英訳すると『Son of God(神の子) 』。そこでローマ法王に献上し食べていただくことでお墨付きを得たのだそう。
その時のバチカン大使からのお返事は以下。なんとも心温まる内容です。
『あなたがたの神子原は500人の小さな集落です。私たちバチカンは800人足らずの世界一小さな国なんです。小さな村から小さな国への架け橋を私たちがさせていただきます─』

神子原米

また移住と就農のダブルで効果的だったのが、住まい+農地がセットになった「空き農家・農地
を活用した情報バンク」制度。
「この制度を利用して、限界集落といわれた神子原地区に相次いで若い世帯が移住しました。30代、40代のファミリー層なので、今後は子どもさんも少しずつ増えそうです」と松本さん。田舎で就農するには、家探しと農地探しの両方が伴い負担がかかるものですが、住居に近い農地をセットにして行政が紹介してくれるなら話はスムーズに進みそう!

神子の里(石川県羽咋市)直売所

地区のホットステーションとなっている農産物直売所「神子の里(みこのさと)」。生産者自身が株主となって立ち上げたことで農家が自由に値付けできるように。生産・管理・流通のシステムを生産者自身で構築することができました。

直売所「神子の里」店内(石川県羽咋市)

直売所「神子の里(みこのさと)店内。神子原米をはじめ、地元農家によって栽培された野菜類や山菜類、炭や民芸小物などが並びます。県外からもたくさんのお客さんがやってきます。

これに加えて、烏帽子親農家制度を整備したのが、移住者の定着率が高まった理由だと話す松本さん。烏帽子親農家制度は、移住する1世帯に対して、その人(または家族)を見守る保護者のような役割をつける制度。慣れない田舎暮らしで戸惑うことがあったり人間関係に悩んでも、誰に相談すればよいか決まっているのはありがたい限り。現在、移住の相談には、町会長や松本さんも含め、数人が一緒になってリラックスした雰囲気で話を聞くのだそう。

「まぁ、井戸端会議みたいなもんです(笑)。移住するまでに平均3度ほどは会いますね。隔絶された田舎では、時として、昔からの風習にこだわりすぎたり、封建的な考え方を良しとする風潮もあるものですが、移住の受け入れはムラがというより、人が人を受け入れる心持ちがまずは大切」。

今では烏帽子(えぼし)親はもちろん、移住者が移住者の相談役になったり、地区内でのコミュニケーションが活発に。制度に頼るだけでなく、人が人をつなぐ神子原に進化しています。

取材協力/株式会社 神子の里
http://mikonosato.com/
http://mikohara.com/