東京から高知県れいほく地域へ移住してきた塩谷学さん・陽子さん夫妻。都会から飛び出してきて4年。現在は、大豊町で「おおとよ塩かえる農園」を営んでいます。ネーミングの由来は、農業を通じて感じる生物の多様性の大切さで、その象徴として『かえる』を屋号にしたのだとか。“人生をかえる”という意味も込められているそうです。音大卒の企画マンというユニークな経歴をもつ学さん。就農までの人生のターニングポイントについてお伺いしてきました。

塩かえる農園 1

ホルン奏者を目指して上京
ふとした縁でコンビニの商品企画部門に

─ 東京から高知へ。もともと農業に憧れがあったのですか?

塩谷:いえ、最初はホルン奏者になるのが夢でした。音楽との出会いは中学校の吹奏楽部から。実家は山口県です。地元では評価してくれる方もいて、演奏家を目指して東京の音楽大学に入学しました。しかし全国から強者が集まってくるでしょう。4年間、精一杯音楽に取り組みましたが、これはかなわないなぁと。

─ 卒業後はどうされたのですか

塩谷:卒業後は、管楽器の修理を行う会社に就職しました。それは充実した仕事でしたが、残念なことに会社が閉鎖になりまして。それから高校の音楽の臨時教員として7年勤めました。しかし臨時教員は期限付きの更新制ですし、この先どうしようかと考えていた頃、音楽教育を行う仲間のツテで、どういうことかコンビニエンスストアの商品企画部門の仕事の話が舞い込みました。

─ 音楽の世界からコンビニとは全く違うお仕事ですね

塩谷:企画部門なので、珍しい経歴の人を探していたとかで(笑)。例えば、テレビ番組とタイアップして限定のオリジナル弁当を作るとか。外部プランナーと協力しながら商品企画を考える…アイデア勝負の毎日でしたね。

─ それは楽しそうなお仕事です。それが、なぜ農業を目指すことになったのでしょうか

塩谷: そうですね。公私ともに順調で、その頃に結婚もしましたが、仕事は毎日それはもう忙しくて。東京のビジネスマンは通勤時間が2、3時間など珍しくなく、私は朝7時に家を出て、ギューギュー詰めの満員電車に揺られて出勤し、終電で帰宅する毎日でした。妻も地方出身者ですが、都会のリズムに乗り切れずにいて、夫婦の間でゆっくりした時間の中で、毎日を丁寧に暮らしていきたいという気持ちが少しずつ固まっていきました。

 

塩谷さん夫婦

役場の人の情熱に心動かされて高知へ
あえて大の苦手なトマトを栽培

─ 田舎暮らしの準備がいよいよスタートするんですね

塩谷:いとこが長野県霧ヶ峰で山小屋を経営している縁もあって、はじめは山梨県や長野県など、東京に近い場所で移住先を探していました。ただ、どこの自治体を見学しても、最後は補助金や一時金を出すという話ばかりで。
補助金はもちろん嬉しいけれど、お金で人を呼び寄せるのはアイデアがないなあと。

─ 企画マンとしては納得できないと?(笑)

塩谷:ハハハ。そんな時にインターネットで高知県れいほく地域にある大豊町の移住者募集の告知を見つけました。行ってみたら、役場の方が熱心に対応してくれました。
『大豊町の農家を未来へつなげたい─』。その思いがこちらに伝わってくるんです。移住した後も何かと気づかってくれ、担当の課が変わっても、ずっと面倒をみてくれるんですよ。
最終的には“人の情熱”に心動かされたといえるでしょう。

─ 家や畑はすぐに見つかりましたか?

塩谷:農地探しは苦労しました。これも自治体のバックアップが決め手になりました。
そうそう私の経験から言えるのは、田舎での家探しは仮住まいから始める方がいいということですね。移住には勢いや思い切りも必要ですが、住みたい家が見つからないと足踏みをしている人をよく見かけます。
田舎には不動産屋がないところが多いんです。だから情報源は口コミ。実際に住んでみて、自分たちの生活圏を把握し、ご近所さんとも親しくなり、街のいろんな情報が届くようになってから、本格的な家探しをするのがおすすめです。
移住してから考えても遅くないんです。

─ 何を栽培するのか、すぐに決まりましたか?

塩谷:農業の勉強のために近隣の農家さんに見学に行ったんですが、そこで食べたトマトに感動しました。実は私は大のトマト嫌い。今も基本的には苦手です。
でもそこで、もぎたてのトマトをかじった時に、生まれて初めて「おいしい!」と思いました。
トマト嫌いの私を納得させるトマト。これが作れたら、絶対おいしいに決まっている。トマトの判定基準が厳しい自分自身が良いものさしになると思いましたね(笑)。

1 2

関連記事